「将来を考える暇はなかった。上京前夜は寂しさで眠れなかった」と仲條会長は話す。東京で働いた後、地元へ戻り店を始め、今では1都10県に650店舗を展開する。それでも、集団就職に抱いた夢と現実のギャップは小さくなかった。
「良いものは良いと、品質でしっかり判断してくださるお客様がいてはじめて、ここまで来ることができました」仲條会長は穏やかにそう話すが、ここまでの道のりには様々な試行錯誤があったはずだ。その結果たどり着いた同社独自の考え、それは女性の能力を最大限に引き出し、お客様に期待を上回るサービスを提供することだった。
「中学を卒業してすぐに集団就職で上京したんですが、親元を離れたことが寂しくてたまらず、泣きながら山形に帰ってしまいました。叱られて染物屋さんに丁稚奉公に行ったりしていたのですが、クリーニング屋という商売に魅力を感じたのは、その清潔さでした。それまでは藁布団で寝ていたのが、クリーニングしたシーツを敷いて眠るとなんとも心地よく、キレイで、これはすばらしいと思いました」
「お見合いに24回失敗しました。周りの皆さんは『断られた』という言い方をされますが、私は『自分からお断りしたことはない』と言っております(笑い)。なにしろラーメンの丼しかないような殺風景な部屋でしたから、これではダメだというので一計を案じ、近所の電器屋さんから最新の家電製品を借り、それをクリーニングの店舗に隣接する自宅に置いて、体裁を整えたりもしました」
「時代が下っても、結局は男社会です。オスは戦う生き物で、実際、起業した人の中で生き残っているのは変わった人ばかりですよ(笑い)。女性は男社会のようなピラミッド構造ではなく横並びだし、働く女性は育児に家事に何役もこなす多能性をそなえています。結婚して、それまで男ばかりだった職場に女性が加わったことで明るくなり、女性が応募してくれるようにもなりました。私自身も女性の感性の素晴らしさに気がついたんです」
「私は不得意なものは得意な人に任せたり、良いと思うサービスは既存のシステムを取り入れたり、要するに自分以外の力をどう活用するのかが大切だと思っています。例えばドライブスルーは、ファストフード店を参考にしたものです」